10年の節目
10年前の2011年3月11日14時46分。
あの時、私は学生で春休みでした。
午前中にアルバイトを終わらせ、昼過ぎに家に帰ってきて、母と一緒にお昼ご飯を食べた後でした。
母はこの震災の時間、ちょうど電話で友人と話していて、電話中に地震がきました。
正座して電話をしていた母は「膝が笑った」と言いました。
私は立って台所にいたので、揺れは全く感じませんでした。
直後、点けっぱなしだったテレビの画面が急に切り替わりました。
地震が起こった場所は、叔父と叔母、従姉妹の家族がいました。
従姉妹は2人。当時高校生と小学生。
どちらも、午前と午後にそれぞれ終業式と卒業式が重なっていたので、叔父も叔母も1日休みを取っており、地震発生時刻は、午前の式典を終えた一家が家に戻ってきて、午後からの式典に出掛けようとしていたときだったそうです。
なので、地震発生時刻には、家に家族全員が揃っていました。
家具が全部倒れ、食器や窓ガラスなどが全て割れるなどの被害はありました・・・いや、その被害で済んだんです。
津波も、叔父家族が住んでいた地域までは来なかった。
けど、従姉妹のお姉ちゃんの方は、妹の式典に出るために寄り道せずに真っ直ぐ帰宅したので無事でしたが、誘われるがままにお友達と出かけていたら・・・
地震の速報の直後、母と手分けして電話をかけまくりました。
誰一人ケガもなく済んだ、あの大震災。
原発事故の帰宅困難区域等にも指定されず、今も10年前と同じ家に住んでいます。
今はコロナ禍で会いにくくなりましたが、コロナ前までは会えていました。
「生きていて良かった」と、当時小学生だった従姉妹の妹を抱きしめたのは今でも鮮明に覚えています。
2,3年前にも合ったときに、同時90代後半の親戚はお酒を飲みながら「全員が家にいたのも奇跡だ。家に帰れるのも奇跡だ」と何度も何度も言っていました。
私たちの家族は運が良かっただけ。
「たまたま」「偶然」が重なっただけ。
その偶然の重なりには感謝しかありません。
地震に対する備えをいくらしようとも、完全には守り切れないのかもしれません。
けど、被害を最小限にしっつ、命を守るためには何をすればいいのか・・・知識や備えはあっても損はありません。
地震大国日本。
どうか、全国が平和でありますように。