かおりの食慾

Twitterで書ききれないことや、日記のようなものもこちらに。明日が今日よりも素敵な日になるように。

友達のつらさと命

8月は大学時代の友人Aの誕生月。Aは、大学で最初に私に話しかけてくれた人。高校を卒業した直後で荒れていた私に、同じ学部だよね?と話しかけてくれた。

私たちはすぐに仲良くなって、講義が被ればずっと一緒にいたし、講義が被らなくても、学食かどこかで待ち合わせして、空き時間はずっと話しているような仲だった。

 

2回生になったときに彼女から、自分は統合失調症だと告げられた。それを聞いても、私は「そうなんだ」程度にしか思わなかった。

AはAだと思っていたから。

Aが教えてくれた症状は、「周りの人全員が自分をブスと言う。消えろ、死ねって言う。私の全てを否定する」というものだった。

彼女が誰かを傷つけたりするものではなく、聞こえない筈の悪口や罵詈雑言が聞こえ続ける・・・家から出たくないと思うのも当然だと思った。

 

それでもAは、薬物治療を続けながら毎日大学に来ていた。

 

3回生の年の夏休み、彼女から一緒に食事に行かないかと誘われた。不思議なことに、お金は全額出すからと。

いやいや、いつもみたいに割り勘でいいじゃんっていうと、行きたいお店に自分の我儘で行くから出すと聞かない。

私は割り勘のつもりで彼女と待ち合わせ、彼女について歩いて行ったのはレストランだった。とても女子大生二人で行くようなお店ではなく、社会人カップルが記念日に行ったり、年配の夫婦が来るような本格的なお店だった。

 

「今日誕生日だけど、両親と妹だけで食事に行ったから、誰かとご飯を食べたかった」

 

詳しく聞くと、Aは薬の副作用で表情筋が意思と関係なく動いてしまうせいで、妹が一緒に行きたがらないと。でも家族の誕生日は食事に行くのが通例になっているから、顔がおかしい自分以外の家族で食事に行ったと・・・

 

料理は美味しかった。その美味しい料理を、彼女は美味しいと言いながら、でも泣きながら食べていた。本当は、私なんかとじゃなく、今までと同じように家族と来たかったはず・・・

この次の日は、A以外の家族で日帰り旅行に行く予定だという。この時も、Aの妹がAには家にいてほしいと言ったそうだ。

 

レストランで食事をした次の日、陳腐な表現だけど“嫌な予感”、”変な感じ”がして、初めて約束もせずにAの家に行った。

チャイムを鳴らしても応答がない。普段なら絶対しないけど、この日は勝手に敷地内に入って庭に向かった。

庭に面した大きな窓の内側にいたAと目があった。

ドアノブで首を吊ろうとしていた。

反射的に窓を割ろうと持っていたカバンを振り上げたら、Aが制して窓を開けてくれた。

開けた窓に手を掛けたまま、Aはその場に座り込んで泣いていた。部屋に入れてもらい、二人で黙ってアイスティーを飲んだ。

私が泣いちゃダメだと思った。一番泣きたいのはAだと。統合失調症だから、副作用があるからと家族に誕生日を祝ってもらえない、日帰り旅行にも連れて行ってもらえないって、どれだけ寂しいだろう。

 

Aもひとしきり泣いて多少スッキリしたのか、もう大丈夫と言った。

じゃ来月、大学始まる前に日帰り旅行に行こうと私から誘った。

大学が始まる前、本当に行けた。貧乏学生だったから、豪勢な旅行というのは無理だったけど、美味しいものを食べ、綺麗な景色を見て観光した。

 

生きていてくれた。

 

何故あの日、私がいきなりAの家に行ったのか、何故あの時間だったのか・・・もしかしたらAは、ドアノブで首を吊ろうとして、何時間も何時間も迷っていたのかもしれない。

 

あの時の私の対応が正しかったのかは今でもわからない。

Aは家を出て、おばあさんの家に住んでいる。卒業して何年か経つが、今でも定期的に会っている。最近は症状も落ち着いているそうだ。 

 

大好きなAとは、まだまだ一緒に遊びたい。

生きていてほしいと思うのは、私のエゴなのだろうか。